20人の仲間と東北支援に行ってきました

被災地を思う気持ちをもち続け、復興までの長い道のりを一緒に歩みたい

東京を深夜にバスで出発し、翌朝から牡鹿(おじか)半島の被災地でボランティアをするツアーに参加しました。途中、石巻市で108名の生徒のうち74名が津波の被害で亡くなった大川小学校に立ち寄りました。ツアーの案内をしてく野老(ところ)さんはこの学校を実際に見て、74人の子どもの命の重みを感じて、自分は今後どうやって自分や家族の命を守るのか、そして周りの人たちが命を守るために何を伝えるのか、参加者に対し先延ばしにしないでここで結論を出してほしいと力強く語りかけられました。
 
“津波てんでんこ” とは津波が来たら、肉親に構わず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろという、津波が多い地域での命を守るための教えです。これを長年に渡り教えてきた釜石小学校では、避難していた中学生がばらばらに山に向かって逃げ、それを見て小学生も逃げ、それを見た大人が逃げて全員が助かったといいます。災害が起こったときのことをリアルに想定し、どうやって逃げるかを子ども自身に考えさせ、生きのこるための力をつけさせる避難訓練こそが必要だと感じました。

ボランティア作業は牡鹿半島での瓦礫撤去でした。参加した20名が5つのグループに分かれ、午前中は道路の両側の割り当てられた場所で、木材、金属、燃えるもの、貝殻等を拾い出しては分別し、道のわきに置いていきます。それをあとから来たダンプが運んで持って行ってくれます。土地柄、漁に使う網が多く、それが木にひっ絡まっていてとるのに苦労しました。午後は入り江の瓦礫撤去を行いました。家の基礎だけが残り上がすべて流されて、ドアや便器のふた、靴、カラーボックスなど水につかったあらゆるものをそのあとの撤去作業に適したかたちに、分別して積み上げていきました。
ここでは1時間半ほどの作業でしたが、驚くほどたくさんのものが取り除け、汗をかいた作業の後はすがすがしい気持になっていました。

帰りのバスの中では、参加者がツアーに参加して思ったことを発表しました。
今回は福島出身でボランティアをしたいけれど高齢だから足手まといになるのではと躊躇していた母を誘って参加しましたが、皆と同じようにがれき撤去をしていました。母は「自分にもできることがある。高齢者は時間だけはたくさんあるから、次は何かしたいと言っている友人を誘ってくる」と話しました。

作業は短い時間で、被災状況を考えるとできたことはほんのわずかでしたが、参加した20名それぞれがこの体験を周りに伝えるための1歩を踏み出せたことに大きな意味があったと思います。自社のバスで千葉から杉並まで来て私たちを連れて行ってくれた野老さん、企画をコーディネートしてくれたNPOさざんかの方に心から感謝します。現地を思う気持ちをもち続け、復興までの長い道のりを一緒に歩みたいと思います。

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