大切な仲間、中崎裕美さんの突然の逝去

原発都民投票の活動に懸命に取り組んだ中崎裕美さん 2/5阿佐ヶ谷ロフトの集会では司会を務めた

この間とても悲しいことがありました。大切な仲間、中崎裕美さんが海の事故で帰らぬ人となりました。

 その事故の3日前まで元気な彼女と会って話をしていたのに。突然の事態を受け入れられず、家族旅行で行った広島からなかなか戻る決心がつきませんでした。

夜のお別れ会が行われるという日になって、東京に戻らなきゃと思い新幹線の駅に向かいましたが、途中で新幹線ではまったく時間が間に合わないことがわかり、すぐ空港に行ってキャンセル待ちをして飛行機に乗って会の最中に普段着のまま会場に到着できました。

会場には、直前にまちづくりコンペに応募した時の、彼女が描いた力作、山羊とミツバチの荻窪のまちづくりのパネルや生活クラブの広報誌に連載されていた4コマ漫画「続ペンギンの日々」が置かれていました。

 裕美さんはご主人に「私には私の神様がいる」と話していたそうです。彼女にとっての神様は大自然の摂理で、彼女はそれに沿って生きたいと思っていたのではないかとご主人が話していました。

 ある時一緒に出ていたミーティングで、彼女が3.11以降子どもたちといる時間が一番大事と話していたのが印象に残っています。いつ何があるか分からないからと、意識して普段の日々を大切に過ごしていたのですね。

 手作り感いっぱいの葬儀で、彼女の眠っている顔を何度も見て、たくさん泣いて、最後にはご親族に混じってお骨を拾わせてもらって、やっと彼女が旅立ったことを受け入れました。

 杉並ネット事務所に置かれていた写真を見ていたら、私が初めて議会で一般質問した後に傍聴に来てくれた方たちと撮った写真があって、裕美さんの姿が私の横にありました。あの時は緊張で傍聴席をちらりと見ることもできず、写真を見て改めて、いろんな場面で支えてくれていたことを実感しています。

 中崎さんが逝ってしまった穴は大きすぎて埋まるものではありませんが、心からの感謝とともにご冥福をお祈りします。