すべての小学校に特別支援教室が設置されるにあたって ~予算特別委員会の質疑より

国民投票学習会で今井一さんと 後列はそね文子と同僚議員の奥田雅子

2016年度からすべての小学校に特別支援教室を設置する計画が進んでいます。これまで、知的障がいのない発達障がいの子どもが週1回通っていた情緒障害通級指導学級が、すべての小学校に特別支援教室として設置され、巡回指導教員が訪問して教えることになり、子どもたちは自分の学校で学べることになります。今年度は18校に設置される予定で、昨年度と合わせると設置校は24校になります。

教室設置にあたっては、一般の保護者が発達障がいを理解するための取り組みも進められ、さまざまなパンフレットが配布されたり、PTA主催で講演会が開かれたりしており、理解が進むことを期待します。しかし、通常学級に在籍する知的に遅延がある子どもが、IQが足りないという理由でこの特別支援教室で学べないという現実があります。保護者からその話を聞いて、そこでも分離をすることを疑問に思いました。新たに教室が設置されるのを機会にこれを見直し、知的に遅延があっても希望する子どもが通えるようにするべきではないかと質問しましたが、区の考えでは知的に遅延がある子どもは固定の特別支援学級で学ぶのが基本で、通常学級にいる子どもは個別に支援するという答えでした。

日本では2014年に障害者権利条約を批准し、文科省は「インクルーシブ教育システム」を推進するとしています。特別支援教室で知的に遅延がある子どもも共に学べるようにするところからインクルーシブ教育を進めていってほしいと願います。

今回も質問をするにあたって、多くの保護者の方に話をうかがい、それに対する区の見解を聞きました。ある保護者からは中学に入ると支援が薄く、校外授業に親が同伴するよう求められたり、彫刻刀を使う事業で親の見守りを求められたとの話を聞きました。思春期で周りの目が気になる時期の中学生へ親の見守りを求めるのはあまりに配慮を欠いた対応だと思います。学校が責任を持って対応することを求めると、それについてはすべての中学校に学習支援教員を配置していく中で対応したいという答えがあり、今後に期待したいと思います。

最後に、子どもが小学校4年生までを杉並で過ごし、その後オーストラリアに転勤された方からの声を要約し議会で届けたものをここで共有させてもらいたいと思います。

以下

オーストラリアでは、障害児の教育は、学校が全責任を持ってやってくれ、家族への負担は求められません。学校の人員不足や支援の限界という名目で、親を呼び出して我が子の面倒を見ろとなど言われる事はあり得ません。日本は根底には、学校というものが普通の子供の為にあって、障害児というのは迷惑な存在だ、責任は親にある、という考えが社会にあるからだと思います。

こういう点を踏まえ、日本でも、まずは行政が、障害児に対する教育に責任を持って、普通児同様に尊重して指導する立場を明確に表し、市民に示していく必要があると思います。受験勉強の妨げとなる等の理由で、障害児のサポートに協力しないという生徒やその保護者を許さない教育指針などが求められます。なぜなら、そういった姿勢で育った生徒は、大人の社会に入ってからもずっと、産業の生産性という大義名分において障害者を邪魔者扱いする可能性があるからです。

自然の確率の中で必ず産まれてくる障害者は、本来は普通級の児童達の仲間です。そのことを子どもの頃から皆が触れ合って体得していける社会を望みます。そうすれば、相模原のような悲劇も防げたのではないかと思います。いま杉並で進めている各学校に支援教室といった施策は大賛成です。その延長線で、障害児を分け隔てなく一緒に育ててもらえたら、と思います。
私もこれを読んで感銘を受け、自分の中にある差別に気づき、学びを深めて行きたいと強く思いました。