汗や泥で汚れた息子を湯船に入れる前に洗おうとしたときです。
お湯を汲んで足を洗おうとしたら「熱い!お母ちゃん、もう許さない!」と言って、お湯が入っている洗面器を蹴っ飛ばしてお湯をこぼしてしまいました。
最近息子がとても切れやすくなっていると感じていましたが、この反応に私も切れました。「そんなことするなら入らなくていい」、と怒って息子をお風呂の外に出し、自分だけお風呂に入りました。上がってくると、息子は夫に絵本を読んでもらっていました。
私はまだ怒ってしまった気持ちが収まらず、「ちょっと出かけてくる」と言って外に出ました。夜の8時ごろのことでした。出てきたものの、何処にも行くあてはなく、公園をゆっくり歩いて息子とのことを考えていました。なんでこの頃あんなにすぐに切れてしまうだろう。保育園でも最近の息子のいつもと違う様子を先生がびっくりしてb話してくれたりしていました。
息子がすぐ切れる、その反応にまたかとうんざりして突き放してしまう、私には寄り付かず、下に住んでいる大好きな叔父さん達のところに入り浸る、どうしてこんなことになってしまったのだろう。寂しい気持ちで、いろんな思いが浮かんでくるのを見つめながらゆっくり歩き続けました。
40分ぐらいたった頃、「息子はすごく寂しかったんだ!」ということがふっと沸いてきて、これまでの息子の反応が腑に落ちました。寂しくって怒ってしまう、それに私が反応して怒ったり、もういい加減にしてとうんざりしたり、それで息子はますます寂しさを募らせてしまっていたのだ、とハッと気がついたのです。
すぐに家に帰ると、夫と息子は本を読んでいた場所で眠っていました。「ただいま」と言って、息子を起こし、お風呂をぬるくして体を洗ってやって、一緒に寝床に入りました。「ご本、何読もうか」というので“もぐらとズボン”を選んで読み終わると、息子はすぐに寝ついてしまいました。
7月の選挙が終って、家に居る時間は前の生活に戻っていたので、問題はないと思っていたのですが、子どもは敏感です。家に居る間も、イベントをどうしようか、あれもこれも読まなくちゃ、メールを打たなくちゃ、と家以外のことばかり考えて、心ここにあらずの状態で家事だけこなしていたのです。
小さな子どもにとって親は大きな存在です。そんな私の状態を息子が感じないわけはないのに。本当にかわいそうなことをしていたなあと反省。不器用な私ですが、子どもと一緒に居るときは、今しかないこの大切なときをしっかり生きよう、それは私にとっても宝物の時間なのだから、と気づかせてくれた息子に感謝です。