ある企業の経営者が、中国遼寧省瀋陽にある、かつて通った母校から優秀な学生3人を、毎年奨学金を出して日本に呼びたいという話があり、寄付者の名前のついた奨学金制度が創設され、私は4年間その受け入れを担当しました。
中国の瀋陽は旧満州の時代に奉天と呼ばれ、日本軍の中国侵略の拠点となった、歴史的に日本との繋がりが強い場所です。
仕事はその学生達のビザの申請など来日前の手続き、空港への出迎え、部屋の手配、生活相談、進学相談、保証人引き受けなど、日本での生活全般をみることでした。この学生達は、中学、高校の6年間に既に日本語を学んでいて、来日時にはまったくコミュニケーションに不自由しない日本語力を身につけているし、基礎教科も良くできて、みんな東大や東工大、京都大学などへ進学していくような実力を持っていました。だから私の役割は、彼らの日本の友人になることだったような気がします。
私はこの仕事が心から好きでした。4年間で延べ12人の学生さん達と付き合いました。その一人一人とのやり取りを今も鮮明に思い出します。
彼らは日本の文化にすでに触れていて、私が知らないことを良く知っていました。例えば来日の歓迎会でおすし屋さんに行ったときに、「お寿司は“あっさりからこってり”の順番で頼むんですよね」と言われ、そうだったのかと感心しました。これは漫画から得た知識だということでした。
また、待ち合わせをしたときに学生が遅れて来て言いました。「自転車を放置する場所がなかなか見つからなくて、遅くなってすみません」と。駐輪場に入れずに駅のそばに止めてくるのは確かに放置。とても正しい日本語に、笑いが止まらなくなってしまいました。
こんなことを書き始めたらきりがありませんが、とにかく学生さん達との付き合いには小さな、新鮮な発見がいつもいつも共にありました。