4年ぐらい前から一緒に脱原発の活動をしたり、家族ぐるみでつきあっていた友人が3月11日の原発事故を受け、ここに子どもと共に移り住みました。
そして、子どものことが心配な友人がいつでも来て泊まれるようにと、住み手がいなかった古民家を借りてくれたのです。
これまでも多くの親子がここで、ほんの数日間ではあっても放射能の心配から解放された時間を過ごしてきました。
ここには土間の台所があり、さらに奥に進むと家の中に井戸まであります。ほこりをかぶった昔ながらの道具がたくさん置いてあり、それらが使われていた暮らしはどんな風だったのだろうと想像をかきたてられます。
家は山の中腹にあって、外に出ると穏やかな瀬戸内海とそこに浮かぶ島々が一望できます。そしてすぐ下にはみかん畑が広がっています。
となり近所や職場の同僚からとれすぎた野菜を分けてもらったり、サザエがたくさん採れたからといただいたり、お金が介在しない物々交換の世界がここにはあるといいます。
きれいな空気、海、近くでとれた食べ物、今一番欲しいと思うものがここにはあります。私が震災で強く感じたのは、人が集中して住み、お金が介在して成り立っている都会のもろさです。いくらお金を持っていても、車や電気製品をたくさん持っていても災害時に役に立つものではありません。
ここには同じような住み手のいない古民家はたくさんあるそうです。
友人は思い切って知らないところに入っていき、そこで人間関係を築き、都会に住む私たちに別の生き方を見せてくれました。都会とは比べ物にならない早さで高齢化が進む地域では、新しく入ってくる人たちを迎えるさまざまな支援が用意されていて、友人もその支援を受け1年間のフルタイムの仕事を紹介され働いています。
それぞれがいろんな事情でこういう道を選ぶのが難しいのは百も承知ですが、望めばいくらでも選択肢はあるのですね。
少しでもこんな暮らしを望む人は、思い切って飛び込んでみてはいかがでしょうか。