「子どもは遊びで育つ!」冒険遊び場の天野秀昭さんの話

9月15日 日本のすべての原発が止まる日に行われた高円寺での脱原発デモ 終着点の馬橋公園で

チャイルドライン・すぎなみ準備会の講座で、長年子どもの冒険遊び場に関わってこられた天野秀昭さんのお話を聞きました。

 木に登ったり、穴を掘ったり、火を燃やしたり、普通の公園では禁止されていることを思い切りやって遊べるのが冒険遊び場です。日本では30年以上前に世田谷の羽根木公園ではじまりましたが、天野さんは当初からその活動に関わりその楽しさを日本中に伝えてきた方です。私は小学生のころその近くに住んでいて、学校の授業でプレーパークに行って飯ごうを使ってご飯を炊いたのを覚えています。

 そもそも冒険遊び場が最初に誕生したのは第二次大戦時のデンマーク。ある建築家が空き地に建築端材の木片と金槌、のこぎりなどの大工道具を置いて好きに使える場所をつくり、大人の管理人を置いた。その大人が子どもを見守り、子どもたちの発見をおもしろいねと認め、たまに大人としての経験から、こんな風にしてみたらどうだろうと提案したら、どんどん楽しくてすごいことが起こり、例えば瀟洒な小屋ができたりした。子どもがやってみたいことを試せる場所、そこでの大人のあり方が重要な役割をはたしていることがわかり、プレーリーダーが生み出されたという話。

 今、子どもが遊ぶことは「危ない、きたない、うるさい」ことで、しつけの対象になっている。例えば、子どもが階段から飛び降りる。2段目ができたら3段目、その次は4段目から飛び降りようとする。それは大人にとって危ないことに見えるけれど、子どもだって危ないことはわかっている。だけど、どこまでできるか、自分の限界にチャレンジし、その世界を広げようとしているときに、それを危ないと大人が制止してしまえば、子どもは実際に危ない目にあって、ここまでにしておこうと自覚する機会や、“できた!”という達成感を感じて自信を持つ機会を奪われることになってしまう。

 やってみたいという動機がもとになった遊びは、子どもの内なる世界の表現であり、生きるエネルギーの源だということ。子どもは遊びを通して育っていくものだから、大人はそれを制止せずに、どれだけ見守れるかが大切。自分が子どもだったころを思い出して、自分が子どもだったときの目線で見るようにしてみましょう、という話でした。 自分が子どもだったころ、大人に怒られて理不尽だと思い、自分はこんなふうにならないようにしたいと思ったことなどを思い出しました。

どれもチャイルドラインで電話を受け、子どもの声を聴くときに覚えていたい大切な話であると同時に、普段子どもと接するときに心がけたい大人としての態度で、それを思い出す貴重な機会を与えられたことを本当にありがたいと思いました。