少子化問題のまたの名は多大化問題?!

夏休みにくる日もくる日も公園で息子がつくってきた泥だんごが、まだ家のいろんな所に転がっています。ひとつつくるのに2時間はかかっているそう。

先日、日本初の冒険遊び場プレーパークの初代プレーリーダーだった天野秀昭さんの話を聞く機会がありました。以前書いた話はこちら

そのときに聞いたのが、少子化問題は多大化問題です、という話。少子化問題とは、このままでは年金が崩壊するとか、働き手や介護の担い手がいなくなるとか-、大人の側から見た問題。でも子どもの側から見ると、子どもの人数に比べて大人が多すぎになって、社会が規則ばっかり厳しくなって、自由に大人の目の届かないところで子どもが遊ぶ場が少なくなっているという大変な問題だということ。

 昔はそこら辺に空き地があって、穴が開いていたり、少し危険なものが置いてあったりして、そこに子ども入って遊んでけがをしても、それで文句を言う親はいなかった。しかし、今は、うちの子どもがけがをしたのは、この土地の持ち主の管理が悪いという話になり、持ち主は空き地に入れないように柵をつくる。それでどんどん自由に遊べる場所が減ってしまう。そういえば先日、通学路に防犯カメラを設置するための補正予算が議会にかけられましたが、通学まで監視されるような社会ですから、息苦しいといったらありません。(子どもをねらった犯罪があるのも事実ですから、予算に反対はしませんが)

子どもが本気で遊ぶとき、それをどんな形容詞で表現しますか?天野さんの答えは、危ない、汚い、うるさい、です。それを社会は受け入れないし、大人はしつけの対象とする。大人社会が子どもをまるごと押さえつけている。でも、これを許容しなければ子どもは育たない。遊びとは子どもにとって魂のいとなみで、それを押さえつけられると心が折れてしまう。

昔はこんなことを大人が知らなくても、数が少なかったから、子どもに逃げ道はいくらでもあったんですね。でも今は多大化で、子どもの遊びをおさえつけてはいけないことを大人が学ばなければならない時代になっている。私は、この話を肝に銘じると同時に多くの大人に伝えたいと思いました。